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一吉工業株式会社

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代表取締役社長退任のご挨拶

UPDATE: 2020.09.04


父の後ろ姿
 寒い朝バリバリと沢庵(たくわん)を報(かじ)りお茶づけをかき込む音 時計は午前三時になろうとしていた 毎朝の事だが父の一人朝食だ
父が漁場に出かける準備をいつも10歳の私は蒲団の中で聞いていた。頭は丸坊主、顔は浅黒く、身体は海の匂いが染みついたそんな父が大好きであり尊敬していた。「漁師を一人前に出来ればどんな仕事でもできる漁師は厳しい仕事だ」父の口ぐせだった。早く大人 になり漁師になる、それが私の幼少期の夢でもあり父の願いでもあった。しかしそんな私は父の思いとは違った職に飛び込んでいった。左官職人になると父に告げた日、父の寂しそうな顔、いまでも忘れる事が出来ない。 大好きな父や家族そして生まれ育った淡路島、福良港を後に昭和37年伯父を頼り川西市にやってきた。 島で育った私を海の見えない町と異常な暑さが不安をあおった。
15歳の夏。新たな人生の始まりだった。 
当時は建築ブーム、人手が足らない、セメントを運ぶ土を運ぶ運ぶ、運ぶ、手には豆、肩にこぶ、運ぶことが 左官職人になるため修業の第一歩でもあった。「モルタル早く持ってこい、早く練れ」先輩達の厳しい声が意識もうろうとする自分を振るい立たせた。厳しく優しかった兄弟子達に可愛がられ左官職人として修業の日々が続いた。一人前の職人として親方から認められ現場を任されたのは東京オリンピックが開催された翌年1967年、19歳の春。 私は父との約束があった。20歳過ぎれば淡路に帰り長男として責任を果たす。 その約束を果たす事が出来ずやっと帰る決断をしたのは、第一次オイルショック の影響により、時代が大きく動き始めた1973年。27歳の時だった。
実家の家も建て替え、帰る準備を着々と進めてきたが、時代の大きな波にのまれ、 もう一年、もう一年後と先送りすることにより、自分の思いと全く違う何かに導かれ、独立することになり、結局父との約束を果たすことが出来なかった。
会社を立ち上げ45年。辛く苦しい時いつも父親の後ろ姿が私を支えてくれた。寒い、寒い中、黙々と漁 場に向かう後ろ姿、、、 私はそんな姿を3人の子供達に見せてこれたのだろうか、、、
追記:今回いちよし通信にて私の父、和島静一を是非紹介したく ペンを取らせて頂きました。福良港の漁師に生まれ、自然とともに 生き謙虚で真面目な父。68歳で生涯を閉じるまで、私に大きな影響を与えてくれました。新社長和島将志も私の思いを引き継ぎ、 一吉工業株式会社の社長として成長していく事だと思います。 
最後になりましたが、長年のご支援ご指導頂きました多くの皆様方に、お礼と感謝を申し上げ、社長退任の挨拶とさせて頂きます。 
本当に永き渡り有難うございました。